生活習慣の違い(日本とパラグアイ等)
2007年の3月に南米から10年ぶりに帰ってきました。
あれから11年が経ち、日本の様子が分かってきた、というか日本のリズムに自分が同調してきつつあります。
まだまだリズムが違うのを指摘してくれる友人は多いのですが。
11年前は、ふるさと日本に10年ぶりに帰ってきた~というわけですが、随分と違和感を感じていました。
地球の裏側でしたので昼だったところが夜になる、つまり12時間の時差と季節が真逆になるギャップもものすごいストレスになりましたが、子供たちの小学校編入学等の手続で忙殺していました。
当たり前だった日常が当たり前ではなくなると、物事の不思議な部分や本質が見えてくるのかもしれません。
日本人なのに日本社会の不思議を客観的になって見つめてしまう視点を持っていました。
まず驚くのは過密さです。東京の駅や繁華街は人があちらこちらに移動するので目が回ってしまいそうな感覚をうけました。
満員電車は人間の尊厳を失ったような気がしてしまいます。もしも犬たちを電車に過密に閉じ込めたら噛み殺し合ってしまうのではないかな。。などと想像したりして。
居住空間もすごいと思います。集合住宅って本当にすごいと思います。
パラグアイでは家の中に大家族が住んでいますけれど、お隣の家族と壁一枚とかいう環境は珍しいのです。
どんな生き物も過密な状態ではストレスを感じます。
この過密ストレスは日本の心身の病を引き起こす大きな原因の一つです。
たぶん日本の都市生活者の多くはこのことに対する鈍感力を身に着けていて、休みに時々空気を吸って調整すればよくなっているのでしょうか。
それでもストレスは溜まります。
次に違和感を覚えたのは、日常の会話の中に神様や霊たちが登場しないことです。
南米で嘆きを表すときには『オーマイゴット』をスペイン語で言って天を仰ぎます。
嬉しい時は『ヘススクリスト』(イエスキリスト)と言って感謝を表します。
そんなことが日常で、いつもいつも神様の目を意識し一緒に暮らしているようでした。
そういう社会になっているので、教会だけではなく、家庭でも町でも会話の中に普通に神様がいました。
日本社会はそうではないようです。
神様とか霊的な話をするのは何か妙なこと眉唾なことのように感じさせる社会になっています。
学校の道徳の教科化はしたものの教材には神様や霊的な話を載せることができないようで、先生たちも苦労して神様抜きの道徳を説かなければならないのでしょうか。
パラグアイなら『神様が』と神様を主語にすれば簡単に子供たちがわかる話をすることができるのに。。
目に見えない世界を眉唾にしてしまったのは、明治新政府が東洋医学よりもドイツの医学を重んじたことも大きいと思います。
解剖を通して身体の中が見えるようになったことで、見えるものを重視する、見えないものを疑問視する向きが広まったとも考えられます。
そして敗戦で神様っぽいことは日本から徹底的に排除された感があります。
神様がおとぎ話の中のことになってしまい、目に見えない世界のことは恐怖の対象として取り扱われタブー視されるか、お化け屋敷的な興味本位な扱いになってしまいました。
不思議ですよね。日本の宗教人口は一億人を超えているのに。。
経絡は血管のように霊の人体を潤す
僕たちは病気の人を治すために取り組んでいます。
けれども、病気っていったい何でしょう。
気が病んでいる人を病人と言いますが
気が病むって?
そもそも気とは???
僕ら鍼灸師が取り扱っている気とは、経絡という回路を流れている何ものかです。
粒子? 波動? 諸説あります。
僕の父は、田中良運師との実験的研究で電磁波の一種と結論していましたが、、、、
僕ら鍼灸師は、臨床で日々経験している経絡現象を通して、経絡という回路の存在を確信しています。
たとえ解剖の教科書には書かれていなくても。
様々な画像診断にその姿を現さなかったとしてもです。
特定できない、数値化できない、そういう何ものか。
経絡というのは肉体でいえば血管に相当します。
経絡は細かい細絡に分かれ、毛細血管のように全身を潤す格好になっています。
その中を流れているのが気(キ)ですが、肉体でいうところの血液に当たります。
ここでわかることは
肉体と等身大の霊人体が、肉体と重なるように存在していて、血管のような経絡を持ち、血液のような気(キ)が巡っているということです。
更に痛みなどを経絡治療でキの流れを改善することで取ることができることを考えると、肉体とそれに重なる霊人体は相互に関連しあっているということです。
経絡治療は肉体に刺鍼して、霊人体に影響を及ぼし、結果が肉体に現れる治療だということができます。
霊人体は死んでからの身体と考えられがちですが、肉体が元気な時も重なって存在しています。
死ぬと霊魂がどこかからか抜けて出ていき、天井から自分の死んだ肉体を見るというような話を聞いたことがあると思います。
だから死ぬ前には霊人体も肉体も重なるように一緒にいるということです。
しかし重なっていると言いましたが、完全に一致しているわけではありません。
血管の走行と経絡の走行は完全には一致していません。
神経の走行とも一致していません。
部分的に一致するのですが、経絡は独特の意味合いを持って巡っています。
霊と肉とは違う働き(機能)をもっています。
例えば肉体は食事と水が必要で、そして空気を吸って生きています。
霊人体は?
よく言われるのは、霊は死んでるから食べないし、空気も要らない。
でも昔から伝わる地獄絵には餓鬼霊が貪り食う姿が描かれています。
日本人の多くは御霊前、御仏前に食べ物をお供えする習慣があります。
一方でお寺の住職がお線香の煙が霊の食べ物だというお話をされるのを聞いたことがあります。
この問題は深い!
次回経絡の観点からみてみたいと思います。


